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謹賀新年
あけましておめでとうございます。
挨拶が遅くなりましてすみません。
昨年はほとんど投稿ができませんでした。
主として仕事が多忙だったのが原因ですが、残念ながら今年もまだ多忙になりそうです。
さらに私事のほうも忙しくなりそうです。
書きたい事はまだ幾つかあるのですが、時間と気力がありません。
申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
挨拶が遅くなりましてすみません。
昨年はほとんど投稿ができませんでした。
主として仕事が多忙だったのが原因ですが、残念ながら今年もまだ多忙になりそうです。
さらに私事のほうも忙しくなりそうです。
書きたい事はまだ幾つかあるのですが、時間と気力がありません。
申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
伊27 8
ある掲示板にて、「伊号第27潜水艦の活躍 ―暗号長の潜水艦戦記―」(吉田菊芳氏著 戦史刊行会刊)に掲載されている写真では艦橋前に航空機格納筒が写っているとありました。
今回はこの写真を再検証して見ます。

この本にある「伊27潜 沈没直前の写真 英駆逐艦ピータードよりの写真」は、以前紹介した「艦船模型スペシャルNo.34日本海軍潜水艦の系譜・1」P.83にあるものと同じものです。
写真の中で伊27は小さめに写っていて、そのままでは艦橋の前に構造物らしきものがあるようにも見えます。

この艦橋部を拡大してみると艦橋前にあるものが格納筒ではなく14cm砲であることが確認できます。
さらに伊27は左舷に傾いた状態で写っているようで、14cm砲前の波除けのラインも見えます。

「AUSTRALIAN WAR MEMORIAL」にて「i-27」で検索しますと、2枚の写真が出てきます。
「The Japanese submarine I-27 sinking after being attacked by the British destroyers HMS Paladin and HMS Petard south of the Maldive islands.」(日本の潜水艦伊27が、モルディブ諸島の南にてイギリス駆逐艦HMSパラディンとHMSピータードに攻撃され沈没しました)との説明が付けられています。
このときの写真は多く残されており(私が知る限り7枚)、左舷側から撮影されたものは全て特徴的な艦橋部の迷彩が確認できます。(写真1bでの青の線)
伊27が航空機搭載施設を持たない艦であったのは確実かと思います。
伊27がこの様になったのは以下のような経緯があったのではないかと推測しています。
1 巡潜各型が計画され建造が始まる
2 甲標的が制式採用され、潜水艦をその母艦にする案が出る。
3 母艦となる潜水艦として巡潜丙型が採用されるも5隻しかなく不足と判断される。
4 建造中であった巡潜乙型の伊27と伊28を甲標的母艦として艤装変更し、さらにマル急計画で丙型の追加建造を行う(6隻が計画され3隻が完成)。
写真1 艦船模型スペシャルNo.34日本海軍潜水艦の系譜・1 モデルアート社 P.83より
写真2・3 「AUSTRALIAN WAR MEMORIAL」より
昨年後半からの仕事はようやく落ち着いてきましたが、これから連休に向けてまた忙しくなりそうです。
体のほうは特に異常も無いのですが、3月末に白内障の手術を行い以前の眼鏡が合わなくなりました。
視力が落ち着いたら老眼鏡を作り直してたまっている本を読みたいなと思っていまので、こちらのブログの再開はもうしばらくお待ちください。
今回はこの写真を再検証して見ます。

この本にある「伊27潜 沈没直前の写真 英駆逐艦ピータードよりの写真」は、以前紹介した「艦船模型スペシャルNo.34日本海軍潜水艦の系譜・1」P.83にあるものと同じものです。
写真の中で伊27は小さめに写っていて、そのままでは艦橋の前に構造物らしきものがあるようにも見えます。

この艦橋部を拡大してみると艦橋前にあるものが格納筒ではなく14cm砲であることが確認できます。
さらに伊27は左舷に傾いた状態で写っているようで、14cm砲前の波除けのラインも見えます。

「AUSTRALIAN WAR MEMORIAL」にて「i-27」で検索しますと、2枚の写真が出てきます。
「The Japanese submarine I-27 sinking after being attacked by the British destroyers HMS Paladin and HMS Petard south of the Maldive islands.」(日本の潜水艦伊27が、モルディブ諸島の南にてイギリス駆逐艦HMSパラディンとHMSピータードに攻撃され沈没しました)との説明が付けられています。
このときの写真は多く残されており(私が知る限り7枚)、左舷側から撮影されたものは全て特徴的な艦橋部の迷彩が確認できます。(写真1bでの青の線)
伊27が航空機搭載施設を持たない艦であったのは確実かと思います。
伊27がこの様になったのは以下のような経緯があったのではないかと推測しています。
1 巡潜各型が計画され建造が始まる
2 甲標的が制式採用され、潜水艦をその母艦にする案が出る。
3 母艦となる潜水艦として巡潜丙型が採用されるも5隻しかなく不足と判断される。
4 建造中であった巡潜乙型の伊27と伊28を甲標的母艦として艤装変更し、さらにマル急計画で丙型の追加建造を行う(6隻が計画され3隻が完成)。
写真1 艦船模型スペシャルNo.34日本海軍潜水艦の系譜・1 モデルアート社 P.83より
写真2・3 「AUSTRALIAN WAR MEMORIAL」より
昨年後半からの仕事はようやく落ち着いてきましたが、これから連休に向けてまた忙しくなりそうです。
体のほうは特に異常も無いのですが、3月末に白内障の手術を行い以前の眼鏡が合わなくなりました。
視力が落ち着いたら老眼鏡を作り直してたまっている本を読みたいなと思っていまので、こちらのブログの再開はもうしばらくお待ちください。
リノリウム 2

第九五号海防艦の「甲板敷物配置」の「註」には以下の様に書いてあります。
諸筐取付部甲板面はリノリユームを切欠きビチュマチックセメントを塗布すること。
但しリノリユームを張附せざる甲板に於ては其の侭とす。
(戦後の写図のためカタカナではなくひらがなとなっています)
写真1は戦後の春月の後甲板ですが、箱の下だけでなく給気筒の周りや絡車(リール)の下もリノリウムは張られていないようです。
これは張替え時の手間を減らすためのものではないかと考えています。

水雷艇鴻の「甲板敷物配置」の「註」には以下の様に書いてあります。
一番砲及二番砲操作範囲ニ辷リ止メトシテ「リノリウム」ノ上ニ黄銅○製「ストリップ」ヲ取付ク(○部は読み取り不能でした)
鴻の「甲板敷物配置」にはこの滑り止めは描かれていないため、上図は鵲の上部平面です。

この写真は戦後の涼月の後甲板ですが、撤去された25ミリ単装機銃の周りに放射状に穴が並んでいます。
これもリノリウムの上に取り付けられた滑り止めの跡だと思われます。
写真1 写真日本海軍全艦艇史 KKベストセラーズ P.635より
写真2 丸スペシャルNo.111 終戦時の帝国艦艇 潮書房 P.80より
謹賀新年 令和四年
あけましておめでとうございます。
昨年後半は仕事が非常に忙しくなり、このブログに割く時間と何より気力がありませんでした。
この忙しさはまだまだ終わりそうに無く、しばらく投稿ができそうにありません。
ただ、何とかこの正月中にリノリウムについての続きだけ書こうかとは思っています。
新年早々申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
昨年後半は仕事が非常に忙しくなり、このブログに割く時間と何より気力がありませんでした。
この忙しさはまだまだ終わりそうに無く、しばらく投稿ができそうにありません。
ただ、何とかこの正月中にリノリウムについての続きだけ書こうかとは思っています。
新年早々申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
リノリウム 1
公式図には「甲板敷物等配置」というものがありますが、リノリウムの貼付位置以外にも貼付方法などが判るものがあります。
水雷艇鴻(昭和十一年十月 性能改善工事竣工後)の同図の「註」には以下の様に書いてあります。
「リノリウム」押ヘハ露天甲板ニノミ之ヲ設ケ 尚羅針艦橋「コンパス」磁力半径二米五〇〇(固定物ニ対スルモノ)以内ニハ「リノリウム」押ヘ及同取付ねぢ等総テ黄銅材ヲ使用ス (露天甲板以外ハ糊付トス)
リノリウム押えは総てが黄銅(真鍮)製ではなく、磁力に反応する鉄製が主ではないかと推測できます。

リノリウム押えはリノリウムの縁を押えるものですので、リノリウム同士の境目だけではなく舷側側や構造物側にもあります。
上の図は第九五号海防艦の「甲板敷物等配置」にあるスパンウォーター及リノリウム押ヘ装置要領です。
リノリウムは舷側にあるスパンウォーターから150mm離れた位置から張られています。
なお、スパンウォーターのA寸法は場所によって違っており、この艦の場合船首楼甲板で180mm、中央部で380mm(ボートダビットの関係か?)、後部で200mmとなっています。
構造物上にリノリウムが張られている場合、手摺支柱が上面ではなく側面にある所は端までリノリウムが張られているのではないかと推測していますが、写真は見つけられませんでした。



写真1は酒匂の前甲板、写真2は酒匂の一番15cm連装砲横、写真3は雪風の船首楼甲板です。
写真1 歴史群像太平洋戦史シリーズNo.45 真実の艦艇史 学習研究社 P.34より
写真2 同上
写真3 歴史群像太平洋戦史シリーズNo.19 陽炎型駆逐艦 学習研究社 P.34より
水雷艇鴻(昭和十一年十月 性能改善工事竣工後)の同図の「註」には以下の様に書いてあります。
「リノリウム」押ヘハ露天甲板ニノミ之ヲ設ケ 尚羅針艦橋「コンパス」磁力半径二米五〇〇(固定物ニ対スルモノ)以内ニハ「リノリウム」押ヘ及同取付ねぢ等総テ黄銅材ヲ使用ス (露天甲板以外ハ糊付トス)
リノリウム押えは総てが黄銅(真鍮)製ではなく、磁力に反応する鉄製が主ではないかと推測できます。

リノリウム押えはリノリウムの縁を押えるものですので、リノリウム同士の境目だけではなく舷側側や構造物側にもあります。
上の図は第九五号海防艦の「甲板敷物等配置」にあるスパンウォーター及リノリウム押ヘ装置要領です。
リノリウムは舷側にあるスパンウォーターから150mm離れた位置から張られています。
なお、スパンウォーターのA寸法は場所によって違っており、この艦の場合船首楼甲板で180mm、中央部で380mm(ボートダビットの関係か?)、後部で200mmとなっています。
構造物上にリノリウムが張られている場合、手摺支柱が上面ではなく側面にある所は端までリノリウムが張られているのではないかと推測していますが、写真は見つけられませんでした。



写真1は酒匂の前甲板、写真2は酒匂の一番15cm連装砲横、写真3は雪風の船首楼甲板です。
写真1 歴史群像太平洋戦史シリーズNo.45 真実の艦艇史 学習研究社 P.34より
写真2 同上
写真3 歴史群像太平洋戦史シリーズNo.19 陽炎型駆逐艦 学習研究社 P.34より