海に憧れる山猿
艦船模型が好きな私が、写真や図面を元に色々書いていきます。
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隼鷹 24

6番高角砲付近です。
マリアナ沖海戦後に後部無線檣のフラットが拡大され、25mm単装機銃が1基装備されました。
6番高角砲の艦尾側には装填演習砲がありましたが、これもマリアナ沖海戦後にフラットの拡大と25mm連装機銃への換装が行われています。
25mm連装機銃付近の船体には扉があり、その奥は高角砲弾薬供給所となっています。
なお、ここから艦尾最上甲板へは舷外通路がありますが、公式図の上部平面には描かれていません。
この舷外通路が新造時には無かったのか、それとも公式図の描き間違いかは写真が無く不明です。

無線檣の基部は扇形の板になっています。
この板の回りは歯車になっているのが写真(「丸スペシャルNo.11 空母隼鷹・飛鷹 潮書房」P.58より)でわかります。

21号電波探信儀は艦橋上と飛行甲板左舷後部の2基が搭載されましたが、搭載時期の違いからその形状は大きく違っています。
左は艦橋上の21号電探で、右は飛行甲板左舷後部の21号電探です。
左舷後部の21号電探の下は電波探信儀格納所となっており、マリアナ沖海戦後や昭和19年末の写真では格納されているようです。
ただその蓋は探照燈時のものと変化無く、アンテナ部は取り外し式になっているものと推定しています。

終戦後の写真(「世界の艦船増刊 日本航空母艦史2011版 海人社」P.75より)では、左舷後部に噴進砲座が写っています。
また、21号電探付近にも張り出しがあり、ここは噴進砲の射撃指揮装置用だと思われます。
噴進砲座は直後の作業員控所と同じ高さに、その前の張り出しはそれより少し下に位置しているようです。
これらの増備は、昭和19年末の被雷修理時またはそれ以降だと思われますが、隼鷹の最終時の武装に関してはまったく資料がありませんので、この噴進砲座に実際に噴進砲が搭載されたのかは不明です。(図はあくまでも推定です)
隼鷹 23

左舷後部の九四式高射装置付近です。
新造時、ここには4.5m高角測距儀とその周辺機器が設置されており、九四式高射装置は後日装備とされました。
高射装置の艦首側にある張り出しは、その周辺機器が設置されていた所で、測距儀の邪魔にならないように幾らか下がっています。(赤い矢印)
(写真1 「世界の艦船増刊 日本航空母艦史 海人社」P.93より)
また、ここには25mm単装機銃が1基設置されています。
この機銃は、公式図の諸要部断面にも描かれています。
諸要部断面は、外形部分はマリアナ沖海戦時以前(改訂欄の昭和18年11月時か?)の状態で描かれていますので、この機銃もマリアナ沖海戦時以前よりあったものと思われます。
ところで、以前書きました「日本空母物語 福井静夫著作集第七巻 光人社」の巻末にある「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」には、増備前の単装機銃は12基となっています。
この配置図における12機の単装機銃の位置には疑問点がありますが、公式図と写真から、艦首最上甲板に2基・艦橋前に3基・艦橋後に1基、この高射装置前に1基の計7基となり、さらに傾斜試験時の写真に写っている飛行甲板上の移動式5基を加えると12基となり、数のほうは一致します。
九四式高射装置の設置されている部分の船体側上面には、3箇所の開口部があります。
この開口部の下には左舷主機械室給気路があるためで、この張り出し部の側面にもそれ用の開口部があります。
ただ、最上甲板平面で判るように、この吸気口は張り出し部には収まりきらず、その一部は張り出しから出ています。(緑の矢印)
(写真2 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.22 空母 大鳳・信濃 学習研究社」P.139より)
なお、側面図は描くのに非常に時間と集中力が要りますので、艦尾までの考証を済ませてからじっくりと描きたいと思います。
この張り出し部の下部は待機所となっており、6番高角砲への舷外通路があります。
最上甲板平面では艦首側にも開口部が描かれていますが、写真1で判るようにこちらは塞がれているようです。
また、諸要部断面では吸気路のあるフラットまでの梯子が描かれていますが、上面の開口部周辺にある手摺が青い矢印のところで切れている事から、最も艦尾側の開口部には上面と吸気路フラットを繋ぐ梯子があるのかもしれません。
(写真3 「丸スペシャルNo.56 日本の空母III 潮書房」P.63より)
隼鷹 22

右舷3番・5番高角砲の間には、マリアナ沖海戦後に25mm単装機銃が2基増備されました。

右舷後部機銃座にも、マリアナ沖海戦後に25mm単装機銃が2基増備されました。
写真(「丸スペシャルNo.56 日本の空母III 潮書房」P.63より)は解体時に左舷から見たものですが、無線檣の脇にある単装機銃用の防弾板が確認できます。
ただ、この防弾板が単装機銃と同時に設置されたのかは、昭和19年末の写真では不鮮明なため確認できませんでした。
右舷と同様に作業員控所の下が銃側弾薬格納所になっている所があります。

右舷後部の探照燈格納所は、舷側に張り出しています。(黄色の矢印部が断面図の場所です)
また甲板上にある蓋は、写真(「丸スペシャルNo.11 空母隼鷹・飛鷹 潮書房」P.58より)でも判るように厚みがあり、飛行甲板と面一ではありません。
隼鷹 21

マリアナ沖海戦時頃の、艦橋部の左舷側面です。
(クリックで拡大します)
機銃座付近には飛行機救助網がありましたが、昭和19年5月頃の消火訓練時の写真では見当たりませんので、この図では描いていません。

昭和19年末頃の、艦橋部の左舷側面です。
(クリックで拡大します)

左舷の給排気口は、この位置にあると思われます。

左舷主機械室排気口のカバーは、諸要部断面には描かれていません。
ただ以前書きましたように、この公式図が新造時の隼鷹の姿を完全に描いた物とは思えない所がありますので、描かれていないからといって新造時には無かったとは言い切れません。
鮮明な新造時の隼鷹の写真が無いのが残念です。
この図は写真からの推定図です。
なおこの図のみは、断面を前方より見た図で描かれていますので注意してください。
隼鷹 20

最上甲板平面の左舷中央部には、給排気路が幾つか描かれています。
上図は機銃座の前半部までです。
艦首側より、第二缶室強圧通風路・第三缶室強圧通風路・左舷発電機室排気路です。
それぞれの給排気口は、吸気は機銃甲板レベル、排気は最上甲板レベルに開いています。
写真1(「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.22 空母 大鳳・信濃 学習研究社」P.120より)では、第二缶室通風路と発電機室排気路は確認できます。
写真2(「世界の艦船増刊 日本航空母艦史 海人社」P.93より)では、第二缶室通風路の前に2本の支柱が見えます。
上にある作業員控所と予備艦橋用の支柱でしょうか。

機銃座の後半部です。
艦首側より、左舷発電機室給気路・左舷主機械室排気路です。
ただ、左舷主機械室排気路には大きなカバーがあります。
(写真3 「丸スペシャルNo.11 空母隼鷹・飛鷹 潮書房」P.52より、写真4 上の写真2と同じ)
左舷主機械室給気路は後日書きます。

この左舷機銃座には、25mm単装機銃が2基増備されました。
この際、機銃座の形状が変わっています(図の赤い線が以前の形状)が、昭和19年5月頃の写真(写真5 上の写真1と同じ)と昭和19年末の写真(写真6 上の写真3と同じ)ではその変化がわかります。
増備時期はマリアナ沖海戦後と思われます。
また、上部平面では、ここにある作業員控所に扉の表記があるものがあります。
これは、作業員控所の下が銃側弾薬格納所になっているためで、3箇所あります。
写真7は終戦後の解体時のものです。(「丸スペシャルNo.56 日本の空母III 潮書房」P.63より)
中央のものは壁面が外されており、中の棚が見えます。




