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山城 1

戦艦山城の公式図は、「海軍鑑定公式図面集 今日の話題社」にある「舷外側面」「上部平面」があります。
これは、改装直後の公式図を長谷川藤一氏がトレースされたもので、「歴史群像太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」にも縮小されたものが、昭和13年の「艦橋各層平面及び機銃配置図」と一緒に載っています。
さて、マイクロフィルムに記録された公式図の中に、昭和16年1月末現在と記されているものがありました。
「諸艦橋平面」「最上甲板平面」「上甲板平面」「中甲板平面」「下甲板平面」「最下甲板平面」「第一船艙平面」「第二船艙平面」の8枚で、昭和11年3月に製図された物に改訂を加えていったようです。
また、表題のない「最上甲板平面」「上甲板平面」「中甲板平面」「下甲板平面」もあり、こちらは元となった昭和11年3月製図の物のようです。
今回は、それぞれ2枚の「最上甲板平面」「上甲板平面」を比較して、その変化を書きます。

01-1 平面 S.11

昭和11年の「最上甲板平面」「上甲板平面」を参考にして書いた平面図です。
(クリックで拡大します)

01-2 平面 S.16

昭和16年1月の「最上甲板平面」「上甲板平面」を参考にして書いた平面図です。
(クリックで拡大します)
なお、艦橋のシェルター甲板部の備品は両方とも昭和16年時を参考にして描いています。

昭和13年の工事で目立つのは、艦載艇の格納場所の変化です。
カッター・通船の薄い赤の矢印は、それぞれの戦時格納場所を示しています。
12mランチは名称の記入がありませんでしたが、形状・大きさから判断しました。
橙色の矢印部には、この公式図では描かれていないダビットが写真で確認できます。
3番カッター移設後にここだけ残したのか、それとも違う物を設置したのかは不明です。
(左舷側は写真が無く不明です)
その他の変化場所は紫の矢印で示しています。

この後は「諸艦橋平面」から艦橋他の各層を紹介していきます。

山城 2

02-1 艦橋甲板平面

昭和16年1月末現在の艦橋甲板平面です。
(今後の図と同縮尺にしたため、クリックで少し拡大します。)
赤い丸は窓の位置です。
上部平面では主砲等に隠れていた部分がよく判ります。
またこの公式図は、木甲板部も丁寧に描かれていますし、どの程度信用できるかはわかりませんが内部の備品類も描かれています。

02-2 艦橋最上甲板

艦橋甲板平面で青い矢印で示した部分の、昭和11年時と昭和16年時での違いについてです。
最上甲板平面の比較では、昭和11年時はここに開口部がありました(両舷)。
昭和16年時には、メインマスト支柱より前方は塞がれ、壁面には内部にある通風筒用の空気取り入れ口があります。

山城 3

03-1 司令塔艦橋平面

昭和16年1月末現在の司令塔艦橋平面です。
赤い丸は窓の位置です。
高角砲付近は木甲板で、これは「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.58の写真でも確認できます。

山城 4

04-1 司令塔平面

昭和16年1月末現在の司令塔艦橋平面(上部)です。
模型製作には必要ありませんが、参考までに。

山城 5

05-1 副砲予備指揮所平面

昭和16年1月末現在の副砲予備指揮所平面です。
赤い丸は窓の位置です。

05-2 測距儀変化

ここにある測距儀の変化です。
大改装後の測距儀は3.5mのものが副砲予備指揮所の前端に装備されていました。
昭和13年の工事の際、この測距儀の装備位置が変わっています。
これは4.5m測距儀に換装するための変更かと思われます。
しかし、昭和16年までは3.5m測距儀のままでした。
昭和18年ごろの写真では4.5m測距儀に換装されているのが確認できますが、換装された時期は不明です。
また、測距儀の中心は司令塔よりも外になったため、下の支柱も以前より斜めになっているのが写真で確認できます。
(写真1 「丸スペシャルNo.54 日本の戦艦 潮書房」P.37より、写真2 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.48より)
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老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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