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伊3とされる写真の正体 1

01-1 伊3?-1

写真1は「丸スペシャルNo.31 日本の潜水艦I 潮書房」のP.54に掲載されている伊3の最後の姿とされているものです。
この写真を元に本文の解説でも図がおこされており、模型誌でもそのように書かれています。
しかし、これはどうも違うようです。

01-2 伊1

まずは巡潜1型の艦橋の変化を見てみます。
伊1は写真2のような姿で竣工しました。(写真は左右反転してあります)
その後艦橋天蓋が追加されましたが(写真3の緑の矢印、伊2以降は竣工時より装備)、太平洋戦争時までの変化として艦橋後方がわずかに延長されました。
ただ巡潜1型の艦橋の幅は狭く、この程度の改造では艦橋上への機銃の装備は不可能だと思われます。

01-2 巡潜1-1

上から伊1(昭和17年2月)、伊2(昭和16年10月)、伊3(昭和16年5月)、伊4(昭和12年)です。
各艦、この姿のままで太平洋戦争に突入したと思われます。

写真1 丸スペシャルNo.31 日本の潜水艦I 潮書房 P.54より
写真2 日本海軍艦艇写真集 潜水艦・潜水母艦 ダイヤモンド社 P.12より
写真3 JAPANESE NAVAL VESSELS OF WORLD WAR TWO ARMS AND ARMOUR PRESSより
写真4 丸スペシャルNO.133 日本の潜水艦II 潮書房 P.29より
写真5 世界の艦船増刊 新版・連合艦隊華やかなりし頃 海人社 P.79より
写真6 写真 日本海軍全艦艇史 KKベストセラーズ P.735より
写真7 写真 日本海軍全艦艇史 KKベストセラーズ P.703より

2017年5月7日 改訂

伊3とされる写真の正体 2

02-1 巡潜1-2

伊3とされる写真(写真1)と伊1(写真2)を比較してみます。
前部14cm砲と艦橋前面を合わせて比較しましたが、艦橋の長さに違いが見られます。
また、艦橋前下部にもふくらみが見られます。(赤い矢印)
下の図は「伊号第一、二、三潜水艦 諸室並ニ肋材配置図」(完成図)からです。
それによると、巡潜1型の司令塔は、巡潜3型以降のような円筒を横にした物ではなく、楕円形の筒を縦に置いた形状であることがわかります。
前下部のふくらみの必要はありません。
また、艦内へのハッチの位置は艦橋の直前と直後に位置しています。
前後への拡大はこれらのハッチと干渉します。

伊1の潜望鏡は艦橋上に2本、艦橋脇に1本(緑の矢印)がありますが、この点もまったく違っています。
巡潜1型の艦橋は幅が狭く、機銃増備のために幅を広げようにも艦橋脇の潜望鏡が邪魔です。(後部のフラットのみ横に張り出させるようにする方法もありますが、写真1ではそのようになっていません)
戦時中に内殻にまで及ぶ改造を行うとは思えません。
なお、14cm砲の大きさが違って写っており写真1の艦のほうが大型であるようにも見えます。

02-2 伊3?-2

さて、この写真1と同じ艦の写真があります。
写真3の解説には、「駆逐艦ピータードに乗艦していたケビン・ウォルトン氏が撮影した沈みゆく伊27」とあります。
写真4には、元写真に貼り付けられていたのか、「Japanese Submarine I-27 Sunk 12th February 1944 by H.M.S. Paladin and H.M.S. Petard」とあります。
写真5と6には、戦前船舶研究会により「戦没不能で砲戦に移る瀕死の伊52潜II」と付記してあります。

写真1 丸スペシャルNo.31 日本の潜水艦I 潮書房 P.54より
写真2 JAPANESE NAVAL VESSELS OF WORLD WAR TWO ARMS AND ARMOUR PRESSより
写真3 艦船模型スペシャルNo.34日本海軍潜水艦の系譜・1 モデルアート社 P.83より
写真4 戦前船舶No.15 戦前船舶研究会 P.5より
写真5・6 戦前船舶No.15 戦前船舶研究会 P.4より

2017年5月7日 改訂

伊3とされる写真の正体 3

03-1 伊52-1

上の図は丙型改の側面です。
船体は乙型とほぼ同じで、艦橋も乙型の回天搭載用に水偵搭載施設を撤去した姿と同じです。
後甲板は伊52が25mm連装機銃2基、伊53・伊55が14cm砲1基となっています。
この図面を、伊3とされる写真と重ねてみます。
艦橋本体は一致しますが、電探や後甲板の武装の有無などの違いがあります。
また、伊52ですが海底に眠るそれの調査が行われまています。
You Tubeで「I-52」で検索してみると、幾つか動画が上がっています。
それによると、側面には迷彩塗装はなく「イ52」と艦名が書かれています。
また、伊52の戦歴を考えてもこの写真のような場面はありえそうにありません。
結局、この写真は伊52では無いようですし、他の丙型改も違うと思われます。

では、22号電探未装備で乙型の艦橋を持ちながら、前甲板に14cm砲を装備するこの艦の正体は何なのか。
それは、伊27であると思います。
伊27と伊28は甲標的を運用できるように建造されました。
各種の本では、前甲板に水偵搭載施設・後甲板に14cm砲という乙型本来の姿で、甲標的搭載には14cm砲を撤去するという形で対応可能な艦とされています。
しかし、そうではなく最初から甲標的搭載を主目的とする潜水艦として建造され、水偵搭載施設は持っていなかったのではないでしょうか。

写真1 丸スペシャルNo.31 日本の潜水艦I 潮書房 P.54より

2017年5月7日 改訂

伊3とされる写真の正体 4

04-1 伊27-1

伊27とされる艦が写っている写真は、私が知る限りではこの2枚のみです。
上写真は艦名が記入されていますので、伊27で間違いないでしょう。
艦名が塗装されていることから、竣工時でしょうか。
下写真は手前が伊29、奥が伊27とされています。
この解説を信じる限りでは、伊27には水偵搭載施設があることになります。

では、上写真と下写真の伊27、本当に同一艦なのか検証してみましょう。
写真1の艦名の艦首側にある無線ケーブル(緑の矢印)は、伊44の竣工時の写真にも見られるもので、水偵搭載設備がある艦でも張られていることがあり、また取り外し可能だと思われます。
写真2の艦橋上のブルワーク上側が一部切り欠かれています(黄色の矢印)が、艦橋上に25mm機銃を装備している潜水艦は昭和17年半ばにはこのようになっています。
同様に測距儀が大型の双眼鏡に変わっています(青の矢印)が、乙型改1は新造時から変更され、乙型も徐々に換装されました。
ただ、この写真に写る伊29はまだ測距儀のままです。
この双眼鏡への換装された艦の存在と伊29の日の丸の位置から、下写真の撮影時期は昭和18年6月から8月頃ではないかと思いますが、そうすると伊29と同じくインド洋で行動していた伊27の双眼鏡への換装は無理のような気もしますが。

04-2 伊27-2

さて、艦橋から甲板に下りるためのラッタルの手摺に注目してください。
写真1では、艦首側の手摺は人物の肩の辺りで途切れていて、艦尾側のそれはもっと下まで続いています。
それに対し、写真2の手摺は両方同じ位置で途切れています。
小さな事ではありますが、それ故にわざわざ変更する必要も無いと考えます。
つまり、下写真の艦は伊27ではない可能性が高いと思います。

下写真の艦は、昭和18年半ばに伊29と同じペナンを基地としていた伊37ではないかと推定しています。
昭和18年9月頃の伊37の写真で、この特徴的な塗装が確認できますし、日の丸・艦名用の枠の位置も一緒です。
また上記の双眼鏡もすでに換装済みです。

写真1・2 歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.17 伊号潜水艦 学習研究社 P.108より

2017年5月7日 改訂

伊3とされる写真の正体 5

伊27推定図

クリックで拡大します。

上が伊27の推定図で、中は以前より言われていた伊27です。
(甲標的は適当に描いたものです)
乙型の船体と艦橋、水偵搭載施設は無く、前甲板に14cm砲を装備。
波除けは艦橋での集合写真に写っていない事から艦橋最前部付近までと推定。
後甲板は甲標的搭載場所のため、余分な装備は無く、当然波除けも無し。
艦首には網切器を装備、起倒マストは後甲板に書き入れていますが、前甲板への移設の可能性もあるかもしれません。
なお、最終時は25mm機銃横のブルワークの切り欠きと、測距儀の大型双眼鏡への換装があります。
迷彩塗装に関しては、これらの写真からでは全体像は判らず、また時期も不明です。
同じく甲標的搭載施設も持たされた伊28も、同様の姿であったと思われます。

下は伊52です。
艦橋横の扉の位置は、伊52では確認できませんでしたが、伊53を参考にしています。
後甲板にある2基の機銃の代わりに14cm砲を置けば、伊53・伊55になると思います。
左舷側の主錨は乙型改1及び改2では廃止されていますので、同じ船体の丙型改も廃止されている可能性があります。
同じく起倒マストは、「伊52型」の図面でも書いてありませんし、丙型の伊46型では廃止となっていますので、こちらも廃止された可能性があります。
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老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
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