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加賀 1

先日、龍門さんのHP「ヴァンガード工場」さんの掲示板にて、加賀の飛行甲板について自分なりの検証を書かせていただきました。
その後に判った点もあわせて、こちらにも書きます。

01-1 飛行甲板 12年

昭和12年5月撮影の写真や、昭和15年ごろ撮影の航空写真などを基にした加賀の飛行甲板です。(クリックで拡大します)
改装後の加賀の飛行甲板は前後を延長されましたが、元からの部分は三段空母時のままで、縦策式着艦制動装置の装備もそのまま残っています。
また、煙突の熱対策の鉄甲板部も以前のままです。
飛行甲板の検証については次回からはじめますが、装備について少しだけ。
艦尾付近の機銃座にある4つの赤いものは機銃射撃装置で、すべて履塔付きです。
また、艦橋前後と左舷前部機銃座前、および左舷艦尾付近の青いものは探照燈管制器兼見張方位盤で、これもすべて履塔付きです。

01-2 飛行甲板 16年

ところで、公式図には「飛行甲板比較図」というものがあります。
これは戦後に福井静夫氏が複製されたもので、3枚組みとなっています。
製図年月日は、2枚目のみに昭和16年11月25日とあるものの、同図には雲龍や大鳳・大鳳改もあるため信用できません。
さて、これの2枚目に加賀があるのですが、着艦制動装置の横策が1本少ない、固定式の滑走制止策が1基多い、移動式の滑走制止策が2基あるという違いが見られます。
滑走制止策はだいたいの場所しか描かれていないため、推定で描きました。(クリックで拡大します)
ただ、大戦中の加賀の写真は少なく、また鮮明さも欠けるためこの状態を確認できる写真はありません。
そのため加賀が実際にこの状態になったのかは不明です。
なお、このうち艦首にある移動式の滑走制止策は、他艦でも装備されているものの使用されてはいないため、昭和12年の時点でも装備だけはされている可能性は高いと思います。

加賀 2

02-1 滑走制止策

近代化改装時に中部エレベーター後方に設置された滑走制止策についてです。
改装前の中部エレベーター後方には遮風柵(写真1 A)、縦策式着艦制動装置の縦策引き込み口(同 C)、伸縮継手(同 B)があります。
縦策は縦策引き込み口から甲板下にある機器に繋がれています。
写真2は赤城のものですが、その部分は開閉式の蓋になっています。
赤城のこの蓋は木製ですが、表側の艦首側半分のみ鉄板張りのようです。
加賀では写真1で縦策引き込み口と遮風柵の間が若干明るく写っているのはこれだと思われます。
ただ、表側のすべてが木製であるのか、赤城のように前方のみ鉄板張りなのかは確定できませんでした。
図では前半分鉄板張りとして描いてあります。
さて、改装後にはここに滑走制止策が設けられましたが、これの支柱が設置された周辺のみは木甲板に張り直されました。
写真3ではそれが確認できますが、縦策引き込み口の端は直角ではありません。

02-2 滑走制止策

中部エレベータ後方の遮風柵は、改装時に廃止されその部分は鉄板で塞がれました。
しかし左舷の端の部分は直角ではなく斜めになっています。(写真4)
これも滑走制止策の支柱が干渉するためです。
下は写真4の明度とコントラストを変更したもので、ここに支柱があるのがわかります。
(この写真ではエレベーター前の遮風柵と後ろの遮風柵跡の幅に違いが見られますが、これは上記の縦策引き込み口の前の蓋の前半分が鉄板張りのせいでしょうか?)
また、左舷の滑走制止策支柱の位置がかなり端にありますので、策の端は舷外に飛び出た部分に繋がれることになりますが、これは写真5で確認できます。

写真1 日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦 ダイヤモンド社 P.28より
写真2 海軍艦艇史3 航空母艦 ベストセラーズ社 P.36より(キャプションでは遮風柵取り付け工事となっていますが、これは間違いです)
写真3 世界の艦船増刊 日本航空母艦史(旧版) 海人社 P.31より
写真4 写真日本の軍艦第3巻 空母I 光人社 P.121より
写真5 海軍艦艇史3 航空母艦 ベストセラーズ社 P.71より

加賀 3

03-1 加賀 滑走制止策制動装置

艦橋脇の飛行甲板上には、何か低いものが置かれています。
写真1では注意喚起のためか白く塗られ、写真2では一部ハンモックのようなものが取り付けられています。
これは滑走制止装置の制動装置ではないかと推定しています。
滑走制止装置は、支柱の外側にある策から導滑車を経由して油圧制動装置につなげ、これにより衝撃を吸収するようになっています。
左舷側は飛行甲板下に制動装置が置けますが、右舷側はそれができません。
そのため飛行甲板上に置かれているものと思います。

03-2 隼鷹 滑走制止策制動装置

隼鷹も同様に滑走制止装置の制動装置が甲板上に置かれています。
上は公式図の飛行甲板平面からで、導滑車を経由して制動装置に繋がる策が描かれています。
写真4で黄色の矢印の示すものが制動装置です。
また、写真5ではこの制動装置に繋がる策が確認できます。

写真1 歴史群像太平洋戦史スペシャル3 決定版日本の航空母艦 学習研究社 P.15より
写真2 真珠湾攻撃隊 モデルアート社 P.147より
写真3 丸スペシャルNo.127 日本の空母II 潮書房 P.51より
写真4 歴史群像太平洋戦史シリーズNo.22 空母大鳳・信濃 学習研究社 P.122より
写真5 歴史群像太平洋戦史シリーズNo.22 空母大鳳・信濃 学習研究社 P.125より

加賀 4

04-1 飛行甲板舷側

加賀の飛行甲板中央部には、改装前にあった煙突からの防熱対策の鉄甲板部がそのまま残っています。
改装前には煙突は両舷にありましたが、左舷の煙突の前端は右舷より後方になっていたため、飛行甲板の鉄甲板部もそれに合わせて前端部に差があります。(写真1の赤線)
なお、鉄甲板部の幅は後方で狭くなっていますが(写真1の青線)、これについては後述します。
この鉄甲板部の舷側には雨樋がありません。
写真3は三段空母時のものですが、舷側部はグレーチング構造になっています。
そして、グレーチング部と飛行甲板の境には排水溝が設けられているようです。(写真2と写真3の緑の矢印)
なお、このグレーチング構造の舷側部の無いところには雨樋があり(写真4)、これは改装後も同様です。
このグレーチング部は改装後には鉄板で塞がれています。(写真2の青い矢印)
この舷側部の左舷側は改装前後で前端の位置に違いが見られます。
改装前は煙突部の鉄甲板とほぼ同じ位置ですが(写真5)、改装後は右舷と同じ位置となっています(写真6)。

04-2 飛行甲板中部

前述したように飛行甲板中央部の鉄甲板部は幅の狭い区域があります。(写真7の赤い矢印間)
三段空母時の誘導煙突の上部には、兵員待機所のための防熱板と思われるもの(写真8)がある区間があります。
これが幅の狭い鉄甲板の区間とほぼ一致しています。(写真7の青い矢印間)
この防熱版は奥まで続いており、そのせいで熱対策である飛行甲板の鉄甲板部も狭くなっているのではないかと推定しています。

写真1 写真日本の軍艦第3巻 空母I 光人社 P.121より
写真2 世界の艦船増刊 日本航空母艦史(旧版) 海人社 P.31より
写真3 科学知識昭和8年7月号付録 海軍写真帖 科学知識普及会 P.11より
写真4 海軍艦艇史3 航空母艦 KKベストセラーズ社 P.60より
写真5 日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦 ダイヤモンド社 P.28より
写真6 写真日本の軍艦第3巻 空母I 光人社 P.125より
写真7・8 海軍艦艇史3 航空母艦 KKベストセラーズ社 P.61より

加賀 5

05-1 着艦制動策

改装後の着艦制動装置の横策の位置です。
第1横策は前部エレベーター後方の鉄甲板と木甲板の境目少し後方にあります。(写真1 矢印1)
ただ、昭和13年7月のこの付近を写した写真では策が写っておらず、使用されていない事もあるようです。
第2横策は煙突の後方付近にあります。(写真1 矢印2)

05-2 着艦制動策2

 注意 艦中央部の横策の考証に間違いがありました。
    詳しくは「加賀 11」をご覧ください。

昭和12年5月11日撮影の写真2では6本の横策が確認できます。
手前にあるのは第2横策ですので、これ以降から後部エレベーターまでの間に5本の横策があることになります。
縦策式着艦制動装置の駒板の位置を考慮した上で昭和15年ごろ撮影の上空写真と照らし合わせると、写真3の矢印が横策の位置と思われます。(写真は左舷側)
後部エレベーター後方には2本の横策があります(写真4 写真は右舷側)が、その導管装置は第2~6横策よりも舷側寄りにあります。
写真2と写真4の青い線は舷側にある元グレーチング部の境界線です。
このことから、元グレーチング部は後部エレベーター横のどこかで終わっているものと推測できます。
なお、この第8・9横策も使用されていないことがあるようですが、これについては次々回あたりで書きます。

写真1・3 写真日本の軍艦第3巻 空母I 光人社 P.125より
写真2 世界の艦船増刊 日本航空母艦史(旧版) 海人社 P.30より
写真4 世界の艦船増刊 日本航空母艦史(旧版) 海人社 P.31より
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老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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