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伊3とされる写真の正体 4

04-1 伊27-1

伊27とされる艦が写っている写真は、私が知る限りではこの2枚のみです。
上写真は艦名が記入されていますので、伊27で間違いないでしょう。
艦名が塗装されていることから、竣工時でしょうか。
下写真は手前が伊29、奥が伊27とされています。
この解説を信じる限りでは、伊27には水偵搭載施設があることになります。

では、上写真と下写真の伊27、本当に同一艦なのか検証してみましょう。
写真1の艦名の艦首側にある無線ケーブル(緑の矢印)は、伊44の竣工時の写真にも見られるもので、水偵搭載設備がある艦でも張られていることがあり、また取り外し可能だと思われます。
写真2の艦橋上のブルワーク上側が一部切り欠かれています(黄色の矢印)が、艦橋上に25mm機銃を装備している潜水艦は昭和17年半ばにはこのようになっています。
同様に測距儀が大型の双眼鏡に変わっています(青の矢印)が、乙型改1は新造時から変更され、乙型も徐々に換装されました。
ただ、この写真に写る伊29はまだ測距儀のままです。
この双眼鏡への換装された艦の存在と伊29の日の丸の位置から、下写真の撮影時期は昭和18年6月から8月頃ではないかと思いますが、そうすると伊29と同じくインド洋で行動していた伊27の双眼鏡への換装は無理のような気もしますが。

04-2 伊27-2

さて、艦橋から甲板に下りるためのラッタルの手摺に注目してください。
写真1では、艦首側の手摺は人物の肩の辺りで途切れていて、艦尾側のそれはもっと下まで続いています。
それに対し、写真2の手摺は両方同じ位置で途切れています。
小さな事ではありますが、それ故にわざわざ変更する必要も無いと考えます。
つまり、下写真の艦は伊27ではない可能性が高いと思います。

下写真の艦は、昭和18年半ばに伊29と同じペナンを基地としていた伊37ではないかと推定しています。
昭和18年9月頃の伊37の写真で、この特徴的な塗装が確認できますし、日の丸・艦名用の枠の位置も一緒です。
また上記の双眼鏡もすでに換装済みです。

写真1・2 歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.17 伊号潜水艦 学習研究社 P.108より

2017年5月7日 改訂

地震被災者の方々、お見舞い申し上げます。

今回の大地震で、非常に多くの方々がお亡くなりになり、また住居を失うなどたいへんな被害をもたらしました。
心よりお見舞い申し上げます。
まだまだ余震が続いており、被災者の方は恐怖を感じておられると思います。
早い沈静化を祈っています。

山の中に住んでいますので、海の美しさに憧れていましたが、今回の地震では、海の恐怖をまざまざと見せ付けられました。

今週の更新は延期いたしますので、よろしくお願いいたします。

伊3とされる写真の正体 5

伊27推定図

クリックで拡大します。

上が伊27の推定図で、中は以前より言われていた伊27です。
(甲標的は適当に描いたものです)
乙型の船体と艦橋、水偵搭載施設は無く、前甲板に14cm砲を装備。
波除けは艦橋での集合写真に写っていない事から艦橋最前部付近までと推定。
後甲板は甲標的搭載場所のため、余分な装備は無く、当然波除けも無し。
艦首には網切器を装備、起倒マストは後甲板に書き入れていますが、前甲板への移設の可能性もあるかもしれません。
なお、最終時は25mm機銃横のブルワークの切り欠きと、測距儀の大型双眼鏡への換装があります。
迷彩塗装に関しては、これらの写真からでは全体像は判らず、また時期も不明です。
同じく甲標的搭載施設も持たされた伊28も、同様の姿であったと思われます。

下は伊52です。
艦橋横の扉の位置は、伊52では確認できませんでしたが、伊53を参考にしています。
後甲板にある2基の機銃の代わりに14cm砲を置けば、伊53・伊55になると思います。
左舷側の主錨は乙型改1及び改2では廃止されていますので、同じ船体の丙型改も廃止されている可能性があります。
同じく起倒マストは、「伊52型」の図面でも書いてありませんし、丙型の伊46型では廃止となっていますので、こちらも廃止された可能性があります。

阿賀野型 1

軽巡洋艦 阿賀野型の考証です。
昨年末に入手しましたマイクロフィルムを電子データ化したものの中に、能代の図面がありましたので、それを紹介したいと思います。

表題には「軍艦能代 舷外側面 1/7(昭和十九年三月完成)」となっており、「第1回改正」の印が押してあります。
1/7というのは7枚組みのうちの1枚目という意味で、他に「上部平面2/7」「艦内側面及上甲板平面4/7」「中甲板下甲板及船艙甲板平面5/7」「諸要部切断7/7」があります。
残念ながら「艦橋装置3/7」「船艙及内底平面6/7」はありません。
この図面は「完成図」で横須賀海軍工廠造船部作成、製図年月日は昭和19年3月20日です。
完成図というのは、工事完了後に作成する図面で、信用性は結構あると思います。
ただ、工事中の変更すべて(特に現場で行った、ちょっとした位置変更など)が反映されているかどうかはわかりません。
また書き間違いもあったりしますが、複数の図を見比べると矛盾が出ていますので、ある程度はわかります。

一番良いのは図面と写真を見比べての検証ですが、残念ながらこの時の能代の写真は確定されたものがありません。
ただ、今回この図面を見てこの写真は能代ではないかと思っています。
00-1 能代?

この写真は、「丸スペシャルNo.5 軽巡阿賀野型・大淀 潮書房」P.4に載っているもので、漂流試験中の阿賀野と解説されています。
ですが、かなり前に「艦艇模型工廠・ヴァンガード工場」様の掲示板にて、前後に分離した飛行甲板や、煙突横の内火艇の位置から酒匂ではないかといわれていました。
しかし、酒匂にしてはおかしい点も幾つかあります。
実はこの昭和19年の能代も、飛行甲板や煙突横周辺のレイアウトが酒匂にそっくりなのです。
そこで、この写真の検証もあわせて行います。
なお、この写真を今後「19能代?写真」と表記します。
また、阿賀野型各艦の相違点について、模型誌等でもあまり書かれていない部分も言及していきます。

阿賀野型 2

阿賀野型の図面で有名なのは、「昭和造船史別冊 日本海軍艦艇図面集 原書房」にも収録されている矢矧の図面でしょう。
この本の目次にある図面出所には、舷外側面から上甲板平面までが「昭20.2.5.」その他が「昭20.1.30.」となっています。
しかし、これと同じものが戦前船舶研究会のDVD図面集の収録されていました。
こちらには表題もそのまま収録されていて、それによるとこれらは5枚組みの図面で、「1/5船外側面上部平面及諸艦橋平面」「2/5艦内側面及上甲板平面」「5/5諸要部切断」となっており、3/5と4/5が欠けています。
この2枚は中甲板以下の平面図だと思われますが、「昭和造船史別冊 日本海軍艦艇図面集」には収録されています。
そして、これらには「昭和十九年十二月二十日現在」と注釈が付けてあり、佐世保海軍工廠造船部作成の完成図です。
製図年月日は残念ながら判読不能です。
矢矧は、この後呉に回航され、更なる改装を受け最終状態になりました。
今回の能代の図面はこの矢矧の図面よりも細部まで丁寧に描かれていますので、模型製作に役立ちそうな主砲について書きます。

01-1 主砲

これは図面をベースに、いくらかを追加した図です。
写真では確認できませんでしたが、砲塔上面の4つの丸(通風筒?)は図面では全砲塔に描かれています。
また、砲塔前面の旋回手窓と照準手窓は、酒匂のみ天蓋まで伸びています。
写真は「JAPANESE CRUISERS OF THE PACIFIC WAR   NAVAL INSTITUTE PRESS」のP.604からで、酒匂の第2砲塔の後部です。
測距儀と砲塔は一体になっているようですし、測距儀の後面には2つ窪みのようなものが見えます。

プロフィール

老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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