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阿賀野型 16

15-1 魚雷運搬軌道

飛行甲板の裏側には、魚雷を運ぶためのレールが縦横に設置されています。
模型で再現してもほとんど見えない部分ですが、今後の考証で言及することがありますので紹介します。
この魚雷運搬軌道の描かれている図面は、戦前船舶研究会のDVD図面集に2枚ありました。
1枚目は「軍艦第百三十二号艦型 魚雷運搬軌道装備図」で、海軍艦政本部第二部・16年5月6日製図です。
製図年月日から判るように、これは阿賀野の計画図で、大型のカタパルトや短めの飛行甲板が、そして一番魚雷発射管はシールド無しで描かれています。
2枚目は「第百三十二号艦型 魚雷兵装一部改正図」で、海軍艦政本部第二部・18年1月18日製図です。
製図年月日からすると能代か矢矧用と思われますが、こちらは元図面を複写したものらしく、状態が非常に悪く文字はかすれてほとんど読めず、詳細は不明です。
この図面には呉式二号射出機と後部の延長された飛行甲板、シールド付きの一番魚雷発射管が描かれています。
また、飛行甲板の艦首側には意味不明の線があり、この線が何を表しているのかは判りませんでした。
なお魚雷運搬軌道装備図で、一番魚雷発射管の艦尾側にある2つの点は飛行甲板を支える支柱で、4艦全てにあります。
特に飛行甲板に開口部のある矢矧や、前後に分離した状態の能代・酒匂ではこの支柱はかなり目立ちます。

阿賀野型 17

16-1 飛行甲板-能代

19年3月時の能代の飛行甲板です。
艦尾側のラッタル付近からの張り出し部は丸い穴の開いたグレーチングで、それ以外は滑り止め付きの鉄甲板です。
九四式高射装置跡の下の構造物は、側面図の赤線より下部が水雷科主倉庫で上部が兵員待機所となっています。
竣工時よりも艦首側に拡大されていますが、兵員待機所はさらに艦中央側にも拡大されています。
上甲板の魚雷運搬台車用軌条は前方に延長されています。
この延長部は、飛行甲板裏の魚雷運搬軌条が設置できないためと思われます。

竣工時の能代の飛行甲板は図面資料が無く、わずかな写真を見てもこの19年の状態とまったく違います。
そのため推定しようにも手がかりがありません。

阿賀野型 18

17-1 飛行甲板-矢矧

矢矧の、19年12月時の図面から読み取った飛行甲板です。
左舷側の開口部の、舷側にある桁が切り取られているようです。
艦首側のほうは少し残されているようですが、図面の傷みがありどこまで残っているのかわかりませんでした。(図では多めに残しています)
ただ、艦尾側は舷側部との整合性がいまいち合っていません。
艦中央側には細い桁があると思われますが、これは艦中心線と並行ではなく、飛行甲板裏の支柱をよけるように設置されています。
矢矧はレイテ沖海戦において、一番魚雷発射管に損傷を受けています。
この損傷復旧工事時にこの部分の桁を切り取り、その工事終了後に飛行甲板裏の魚雷運搬軌道の一部を復旧させるために細い桁を設置したのではないかと推定しています。
それも(少なくとも艦尾側は)飛行甲板裏に取り付けられたため、支柱をよけるように設置されたものと思います。
詳しくは次回で説明しますが、この細い桁付近にある魚雷運搬軌道は設置場所が変更された跡が図面に残っています。

赤い線は飛行甲板裏の魚雷運搬軌道で、その一部は飛行甲板の開口部から見えています。
魚雷格納所の上にも軌条があるはずですが、図面では魚雷の位置を示す線と重なり判別が付きません。
飛行甲板下の兵員待機所にある点線部ですが、この中には飛行甲板に上がるための階段があります。
ただし、魚雷発射管の旋回圏と干渉しますので、3層になっている兵員待機所の最上部に設置されているものと思います。

17-2 飛行甲板-矢矧

天一号作戦時にはこの状態から変化があったのでしょうか。
能代や酒匂ではすでにこの部分は無く、いまさら復旧させる必要は無いと思います。
「丸スペシャルNo.5 軽巡阿賀野型・大淀 潮書房」P.19の写真では左舷側の開口部の桁が無いように思えます。(赤い矢印)
ただ、少し残されていた部分も見当たらず、それも撤去された可能性もあります。
青い矢印は煙突横の測距儀台上に設置されている物です。
単装機銃よりも、射撃指揮装置の可能性のほうが高いような気もします。

阿賀野型 19

18-1 飛行甲板-矢矧

19年12月の矢矧の図面(上甲板平面)に描かれている魚雷運搬軌道ですが、戦前船舶研究会のDVD図面集では幾本かの線が読み取れます。
青と緑の線がそれで、赤い線に比べてかなりかすれた状態で残っています。
原書房の「昭和造船史別冊 日本海軍艦艇図面集」では、残念ながらほとんどかすれて読み取れませんが、左舷側の緑の線等少し残っている所もあります。
これらは、この図面が以前のものを修正していることからくる軌道の痕跡だと思われます。
これを考慮して、この図面より前の状態を推定してみます。

18-2 飛行甲板-矢矧

まず、軌道の撤去は青と緑で違う時期、2段階で行われたものと推定しています。
左舷側開口部中央を通る青い軌道から、ここは右舷と同様の形状であったと思われます。
開口部にある3本の桁はこの軌道を保持するもので、艦首側に無いのはそれほど負担がかからないためなのかと推定しています。
さて前回書きました一番魚雷発射管の艦尾側にある軌道の一部が変更になっている部分です。
前後に伸びている細い桁とわずかに離れているようで、この状態ではこの軌道を保持できません。
また、中央開口部の艦首側の形状が不自然である事も考慮に入れますと、ここには右舷と同様の通路があったのではないかと思います。

阿賀野型 20

19-1 飛行甲板-矢矧

矢矧の飛行甲板が、竣工時はどの様であったかをこの写真(「日本海軍艦艇写真集 巡洋艦 ダイヤモンド社」P.179より)から考えて見ます。
かなり前になりますが、「艦艇模型工廠・ヴァンガード工場」様の掲示板にてCGでこの写真の再現を行って(双葉社よりCG本を出されている松野氏の、息子さんの御協力です)の検証をしましたが、次発魚雷装填装置の上に光が当たってしまうため(赤い矢印部)開口部後半をシートで隠した状態にしてみたとありました。
そのときは結論が出なかったのですが、今回の緑の線での軌道の痕跡跡が残っている事をあわせて考えてみますと、もともと竣工時の開口部はかなり小さかったのではないでしょうか。
ところで、「魚雷兵装一部改正図」で意味不明と書いた線ですが、この推定した開口部に近い所にあるのは偶然でしょうか。

19-2 飛行甲板変化-矢矧

以上、推定した飛行甲板及び魚雷運搬軌道の変化はこのようになります。
竣工時          開口部は小さく、魚雷運搬軌道は「魚雷兵装一部改正図」と同じ
レイテ沖海戦時    両舷側の一部の軌道を撤去、
               残りの軌道や単装機銃を避けるように開口部を拡大
天一号作戦時     一番魚雷発射管損傷修理のため、左舷側の桁と軌道を撤去、
              発射管修理完了後、細い桁を渡して軌道の一部を形状変更して復活

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老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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