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隼鷹 10

11-1 煙路

艦橋内を通る煙路は、左舷側に開いた開口部からその一部が見えます。
(「丸スペシャルNo.11 空母隼鷹・飛鷹 潮書房」P.17より)
そして公式図の飛行甲板平面では煙路の位置がわかります。
(図は左側を艦首側にしてあります)
グレーで描いた線はひとつ上の階での煙路の位置と思われます。
これらの図面と写真を参考にして推定図を描いてみました。
1・2号缶煙路は図面に描いてある開口部を結んだだけでは写真のようにはならず、窓の位置から推定した部屋と干渉しますので、途中で曲がっているものと思われます。

隼鷹の艦橋装置図ですが、新造時のものが呉の大和ミュージアムにあるそうです。
ただ私には、資金・時間そして何よりも情けない事に行動力が足りません。
でもいつか行ってみたいですね。
情報ありがとうございました。
追加情報です。
大和ミュージアムにある艦橋装置図は、新造時のものに修正をした19年10月末の状態(一部は計画状態?)のようです。
情報ありがとうございました。

11-2 缶排煙通風機

隼鷹のボイラーは、1号缶から6号缶までと補1号缶と補2号缶があります。
そのうち1号缶から6号缶までの排煙路は、煙突まで直結ではなく、缶排煙通風機というものが途中にあります。
1・3・5号缶用は中甲板に、2・4・6号缶用は最上甲板にあります。
図は最上甲板平面と、3・4号缶の断面です。
この缶排煙通風機がどういう機能を持っているのか、私にはわかりません。
どなたかご存知の方は、ご教示をお願いいたします。

11-3 煙突

煙突周りの蒸気捨管と空中線支柱は、マリアナ沖海戦での煙突損傷で大きく変化しています。
(写真1 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.22 空母 大鳳・信濃 学習研究社」P.122より、写真2 「海軍艦艇史3 航空母艦 KKベストセラーズ」P.171より、写真3 「丸スペシャルNo.11 空母隼鷹・飛鷹 潮書房」P.53より、写真4 「写真 日本海軍全艦艇史 KKベストセラーズ」P.376より)
蒸気捨管関係での大きな変化は、両舷のサイレンとそれ用の管(写真1の赤い矢印)の有無です。
写真3での青い矢印の部分も変化しているようですが、これは修理後にある細い管(サイレン?)が以前は無いためだと思われます。
最も艦尾側にある蒸気捨管も以前は真直ぐでしたが、修理後はその前にある管に合わせるように曲がっています(写真4の緑の矢印)。
空中線支柱は、マリアナ沖海戦までの間に支柱の追加があります(写真1の黄色の矢印)。
修理後はまったく形状が変わりました。

隼鷹 11

12-1 艦橋後部

艦橋後部の変化です。
上より竣工時、マリアナ沖海戦時、昭和19年末時です。
まず、竣工後の早いうちにマストの途中にあるスピーカーの艦橋への移設(写真1・2の黄色い矢印)と艦橋後部の九六式1.5m測距儀の新設(写真2の青い矢印)があります。
(写真1 「海軍艦艇史3 航空母艦 KKベストセラーズ」P.171より、写真2 「丸スペシャルNo.11 空母隼鷹・飛鷹 潮書房」P.18より)
その後、マリアナ沖海戦時までに(昭和18年11月?)マストの艦尾側に25mm3連装機銃(防弾板付)が装備されました。
これに伴い、マストの下に銃側弾薬格納所が置かれ(写真3の水色の矢印)、その上に機銃通信機が、そして艦橋からは伝声管?等が設置されました。
なお、この機銃が設置された場所にあった作業員控所も変化しています。
また、艦尾付近の探照燈を撤去し21号電探を増備したために探照燈管制器1基を撤去し25mm単装機銃を装備しました。
写真2のシートを被せてあるもの(緑の矢印)がそれではないかと推定しています。

マリアナ海戦後には探照燈管制器のあったフラットを延長し25mm3連装機銃を増備するなどの変化があります。
またマストも位置・形状ともに変更され、13号電探が装備されました。
ただし下の飛行甲板平面図を見ますと、艦橋後部自体の変更は無く機銃座の下は簡単な構造のようです。
この部分の床面ですが写真3(「丸スペシャルNo.11 空母隼鷹・飛鷹 潮書房」P.59より)にて、板の継ぎ目のようなものが見えましたので木甲板としましたが確実ではありません。
この終戦後に撮られた写真では飛行甲板と上のフラットの間に階段が写っていますが、ここには垂直梯子がありますので(写真3の赤い矢印、飛行甲板平面の赤い線の場所)、この階段はただ立てかけてあるだけではないかと思われます。
なお、探照燈管制器のあった場所の下は気象作業室で、写真2に写っている小さな穴の開いた物(紫の矢印)は気象作業用遮風柵です。

隼鷹 12

13-1 機銃座

隼鷹の機銃増備の状態を示す資料には、「日本空母物語 福井静夫著作集第七巻 光人社」の巻末にある「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」があります。
ただ、これにはかなり疑問点があります。
噴進砲が増備された場所に各舷2基づつ単装機銃が増備されているように描かれていますが、噴進砲用の架台を設置後に単装機銃を仮装備していたのでしょうか。
1・2番高角砲の艦首側に、単装機銃があ号作戦前に増備されていた状態で各1基描かれています。
しかし、公式図にはここに単装機銃はありませんし、戦後の写真でも機銃座は見当たりません(写真1 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.22 空母 大鳳・信濃 学習研究社」P.140より)。
ここにある揚貨機は最後まで残っていましたし、ここと高角砲の間には高角砲射界制限柵があり機銃を置けるスペースは無いと思われます。
その他の場所でも、あ号作戦前に増備されたとする単装機銃については疑問点も多くあります。
単装機銃の増備には機銃座等の拡大がされていますが、昭和19年5月撮影の写真にはその形跡が見当たりません。
これ以降の隼鷹は、マリアナ沖海戦まで機銃座の拡大を伴うような機銃増備の機会は無さそうなのです。
この隼鷹の考証では「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」は参考にはしますが、全てを信用はしない事にします。

さて、艦橋右舷にある探照燈を撤去して、ここに25mm機銃を増備しました。
上記の状況調査の図では、ここには平面図では単装機銃が描かれています。
しかし側面図では、連装機銃または3連装機銃のような形状で描かれています。
実は右舷後部に、平面図では連装機銃が側面図では単装機銃が描かれてる機銃がありますが、ここは単装機銃が正解のようなのです。
ここは描き間違いで艦橋脇には連装機銃と見たほうがいいようですが、問題はそれだけではありません。
公式図ではここには3連装機銃が描かれているのです。
以前も書きましたが、この公式図はマリアナ沖海戦後の状態に関しては計画図的なところがありますのでこれも全てを信用するわけにはいきません。
残念ながらここの機銃が、連装と3連装のどちらかなのかを決定できる写真は見当たりません。
機銃座の大きさは3連装機銃を置けるようには見えるのですが、決定打にはなりません。
(写真2 「丸スペシャルNo.56 日本の空母III 潮書房」P.63より)

隼鷹 13

艦橋部にはまだ細かな変化があるようですが、それらはまた後日書きます。

14-1 着艦装置

飛行甲板の着艦装置の変化です。
(クリックで拡大します)
上は新造時で、下は昭和19年末です。
赤は着艦制動装置、青は滑走制止装置(固定式)、緑は滑走制止装置(移動式)です。

14-2 第1・2・3横策

新造時の公式図ではこのようになっていますが、零戦の機体色から昭和17年撮影と思われる写真1(「世界の艦船増刊 日本航空母艦史2011版 海人社」P.139より)や、昭和19年5月撮影の写真2(「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.22 空母 大鳳・信濃 学習研究社」P.123より)には、滑走制止装置(移動式)の第1滑走制止策と、着艦制動装置の第1・2・3横策は写っておらず、これらは使用されてはいなかったようです。

マリアナ沖海戦後に滑走制止装置(移動式)の撤去と、一部の着艦制動装置の撤去及び移設が行われました。
ただ、撤去された着艦制動装置の扛起装置の跡はそのままです。
また理由は不明ですが、滑走制止装置(固定式)の支柱と着艦制動装置の扛起装置の周りが鉄甲板となっています。
なお、扛起装置の周りの鉄甲板部の形状は旧来のものと新規のものでは違っています。
プロフィール

老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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