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山城 5

05-1 副砲予備指揮所平面

昭和16年1月末現在の副砲予備指揮所平面です。
赤い丸は窓の位置です。

05-2 測距儀変化

ここにある測距儀の変化です。
大改装後の測距儀は3.5mのものが副砲予備指揮所の前端に装備されていました。
昭和13年の工事の際、この測距儀の装備位置が変わっています。
これは4.5m測距儀に換装するための変更かと思われます。
しかし、昭和16年までは3.5m測距儀のままでした。
昭和18年ごろの写真では4.5m測距儀に換装されているのが確認できますが、換装された時期は不明です。
また、測距儀の中心は司令塔よりも外になったため、下の支柱も以前より斜めになっているのが写真で確認できます。
(写真1 「丸スペシャルNo.54 日本の戦艦 潮書房」P.37より、写真2 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.48より)

山城 6

06-1 作戦室フラット平面

昭和16年1月末現在の作戦室フラット平面です。
赤い丸は窓の位置です。
公式図には、ここから羅針艦橋への階段が描かれていません。
そのため、羅針艦橋平面を参考にして描き加えました。

山城 7

07-1 羅針艦橋平面

昭和16年1月末現在の羅針艦橋平面です。
ここは全面木甲板で、最前部はグレーチングとなっています。
木甲板は縁にマージン・ブランクがあり、この公式図でも丁寧に描かれていますが、マスト周辺部はそれの形状が特殊なものに描かれています。

07-2 羅針艦橋変化

羅針艦橋の変化です。
昭和11年と昭和16年の公式図を比較してみると、信号所の旗掛の位置が変わっています。(昭和11年の図は「海軍鑑定公式図面集 今日の話題社」にある上部平面を参考にしていますが、上にある機銃座に隠れた部分は推定です)
また、左右の手旗信号台の形状も変化しています。
(写真1 「写真 日本海軍全艦艇史 KKベストセラーズ」P.1011より)
昭和18年ごろの写真では、方向発信器の置かれている張り出しが撤去され、左右の手旗信号台が短くなっています。
方向発信器はどこかに移設されたのか、それとも撤去されたのかは不明です。
(写真2 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.53より)

なお、「世界戦艦物語 福井静夫著作集第6巻 光人社」の巻末にある「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると、昭和19年8月にはこの羅針艦橋に哨信儀が設置されています。
設置場所は60cm信号用探照燈付近に描かれています。
ここの張り出しを拡大し、そこに装備された可能性もありますが、詳細は不明です。

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老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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