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山城 10

10-1 戦闘艦橋平面

昭和16年1月末現在の戦闘艦橋平面です。
階段はこの階までで、これより上は梯子になります。
○○式無線電話機ですが、○の部分が判読しにくく、また上の階にある九〇式電話送話機とも違うもののようです。

10-2 戦闘艦橋変化

ここの張り出し部の変化です。
昭和13年時には、この張り出しの先に方向発信器が置かれていました。
昭和16年時では、張り出しの前方が拡張され三十糎信号灯などが設置されました。
なお、この張り出しには上の階からの吊り支柱がありますが、拡張後もその位置は変わっていないようです。
昭和18年の写真では、無線電話機が張り出しの先に移設されています。
「世界戦艦物語 福井静夫著作集第6巻 光人社」の巻末にある「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると、昭和19年にはここに22号電探が装備されているようですが、詳細は不明です。

山城 11

11-1 主副測的所平面

昭和16年1月末現在の照射指揮所及主副測的所平面です。
赤い丸は窓の位置です。

11-2 探照燈管制器

この図に描かれている探照燈管制器は、望遠鏡が2組あることから2人で操作する九二式だと思われます。
さらに、双眼望遠鏡を使用するのが一型、単眼望遠鏡を使用するのが二型だと思われます。
二型はヤヌス・シコルスキー氏著の「戦艦扶桑図面集 光人社 P.162」に図があります。
一型の図は、残念ながらこの公式図のものしか見当たりません。
ただ、終戦後に撮影された伊勢の写真の中にそれらしき物が写っています。
(この写真はネットに公開されていたものですが、どこにあったのか失念してしまいました)
この写真に写っている探照燈管制器は、双眼望遠鏡が撤去されているようで、元は下写真のようになっていたのではないかと推定しています。
なお、この探照燈管制器については山野内様の「模型海と空」掲示板でいろいろとご教示いただきました。
その節はありがとうございました。

11-3 照射指揮所天蓋

照射指揮所には、片舷5本の支柱が描かれています。(赤い点)
これはキャンバス製の屋根を張るためのものです。
屋根が張られていない写真でも、この支柱は写っていますのでこれは固定式だと思われます。
屋根の形状は、写真からベージュで示したようになるのではないかと推定します。
(写真1 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.52より、写真2 同P.62より)

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老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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