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山城 20

20-1 中央部艦橋甲板平面

昭和16年1月末現在の中央部艦橋甲板平面です。
赤い丸は窓の位置です。

20-2 工場煙突

煙突側面にある配管は、両舷とも最も艦首よりのものが上甲板にある烹炊室からの煙突で、2番目のものが最上甲板にある鋳物工場・鍛冶工場の煙突になります。
右舷の鋳物工場からの煙突は、工場の壁面から出た後に平面図の赤い矢印の位置で上部に出るようです。
しかし、写真(写真1 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.61より、写真2 同P.66より)では若干位置がずれているように思えます(少し舷側寄り)。
左舷の鍛冶工場の煙突は、最上甲板平面の工場内部に描かれているものから推測して、図の青い矢印で示した物がそれだと思われます。
この部分が判る写真が無いため、どのように煙突側面に至るのかは不明です。

山城 21

21-1 野菜庫平面

昭和16年1月末現在の機銃射撃装置及探照燈台野菜庫平面です。

21-2 野菜庫扉

煙突前にある野菜庫は、前面の一部が点線で描かれています。
それの意味するところは不明ですが、昭和10年の写真を見ると前面の右舷側には一部壁の無い所があるようです。(写真1 「写真日本の軍艦 第1巻 戦艦I」P.187より)
昭和18年の写真(前回「山城 20」の写真1)では同部分の側面板が歪んでおり、また前面には床に光が当たっているようなところがあり、以前のままではないかと思われます。
煙突側面の野菜庫には艦首側に扉がありますが、写真でもそれらしき物が見えています。
(写真2 「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.66より)
ただ、この扉の下には梯子が見あたらず、出入り方法は不明です。
また側面に開口部が描かれていますが、開口部はここより下にあり、ここは閉鎖部のはずでこの点も不明です。

ところで、「歴史群像太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」にある「艦橋各層平面及び機銃配置図」(昭和13年時)では、この煙突前の野菜庫の前方に25mm機銃が描かれています。
しかし、昭和13年頃の写真ではここに機銃が装備されたものは無く、またこの図面では機銃射撃装置がシールド付きで描かれている事や、その台座形状が以前のままである事などおかしな点があります。
この「艦橋各層平面及び機銃配置図」は計画図ではないかと思われます。

21-3 兵員待機所平面

昭和16年1月末現在の探照燈台兵員待機所平面です。
赤い丸は窓の位置です。
右舷の前面上方には1・2番探照燈台への扉があります。

山城 22

22-1 探照燈台平面

昭和16年1月末現在の探照燈台平面です。
この図に描かれている探照燈ですが、右舷と左舷では形状が違っています。
この事は、「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.100の扶桑の写真でも指摘されています。
理由は不明ですが、右舷用と左舷用の探照燈があった可能性は高いと思われます。
なお、「昭和造船史別冊 日本海軍艦艇図面集 原書房」にある戦艦陸奥の上部平面でも、右舷と左舷の探照燈では頂部にある四角の大きさを違えて描かれています。

22-2 機銃射撃装置台変化

昭和13年の25mm機銃搭載時に、煙突横の探照燈が機銃射撃装置に換えられました。
その際、台座形状も変化しています。
なお、新規に設置された1・2番探照燈台とこの機銃射撃装置台には滑り止めがあります。
ブルワーク形状も、以前からの探照燈台は上部が外側に開いた形状ですが、1・2番探照燈台では真っ直ぐです。(赤い矢印 写真は「歴史群像 太平洋戦史シリーズNo.30 扶桑型戦艦 学習研究社」P.63より)
機銃射撃装置台のブルワークは前後のみ外側に開いています。
また、機銃射撃装置台の下面は中央部が少し下がっています。(青い矢印)


以上で、戦艦山城の考証は終了とします。


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老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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