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隼鷹 37

MOMOKO.120%さんのブログ「模型の缶詰BLOG出張所」にて、飛鷹と隼鷹に搭載された九一式高射装置についての新考証が発表されました。
飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(1)
飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(2)
飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(3)
また、その中で当ブログでの間違いの指摘もありましたので、訂正もかねて再考証をしてみました。

38-1 艦橋前部1

新造時の隼鷹です。
高射装置は装備されず、補助機器で照準していたようです。

38-2 艦橋前部2

南太平洋海戦時の隼鷹です。
艦橋上に21号電探が搭載されたため、1.5m測距儀は艦橋前部に移設されました。
また艦橋上の方位測定器は撤去されたようです。
その艦橋前部には九一式高射装置が装備されました。
艦橋前部のこの状態を写した写真は、写真2が唯一のものです。
この写真の艦橋上の空中線展張檣の主柱と支柱が重なっていることと、艦橋後部の信号檣の主柱と支柱の見え方からだいたいの撮影場所を特定し(第六横策の左舷舷側付近)、そこから探照燈管制機のある艦橋前面とを結ぶ線(青い線)と方位測定器を結ぶ線(赤い線)を引いて、1.5m測距儀と九一式高射装置が写真と同じ見え方ををする場所を探しました。
飛鷹の側面図とあわせて検証しましたところ、図のような位置になりました。
1.5m測距儀は視界確保のため、高い位置にあります。
艦橋前後の三連装機銃は、南太平洋開戦直前の映像と思われる日本ニュース第145号にある隼鷹(写真3)の艦橋後部に何か黒い影が見えること、翔鶴型も同時期に艦橋前後に機銃を増備したことからの推定です。
まだ4.5m測距儀にシールド装着はされていないように見えます。

38-3 艦橋前部3

昭和18年の隼鷹です。
写真3では艦橋上マストの見張所追加が行われてはいないため、それが行われている写真4はやばり昭和18年のものだと思われます。
また整列中の兵員が夏服を着ていることから、夏もしくは南方にいるときでしょうか。
テント状のもの(兵員待機所?)は九一式高射装置とは干渉しない位置にありますが、1.5m測距儀の移設位置は干渉するため、まだされていないと思われます。

38-4 艦橋前部4

マリアナ沖海戦時の隼鷹です。
九四式高射装置搭載に伴い九一式高射装置が撤去され、1.5m測距儀は若干前方に移され高さも低くなっています。
「模型の缶詰BLOG出張所」にて、1.5m測距儀はシールド付ではなく風除けのみが装着されたものにカバーが掛けられているとの指摘がありました。
またその台座形状にも疑問が寄せられました。
改めて検証しましたところ写真5では台座下部が黒く写っていることや、公式図(平面図)での測距儀の周りの2重丸の外側のものは旋回範囲を示すものと判りましたので、ここに訂正いたします。
申し訳ありませんでした。
なお、以前の側面図も該当部を訂正しました。

38-5 艦橋前部5

昭和19年末の隼鷹です。
艦橋前部に25mm三連装機銃が増備されたため、1.5m測距儀は探照燈管制器の間に移されました。
終戦後の写真6では1.5m測距儀は撤去されていますが、台座が残っているのが確認できます。
この部分も以前の側面図では抜けていたため直しました。
兵員待機所?は九四式高射装置の脇に移されました。
25mm単装機銃は若干後方に移され、右舷舷側にのみ防弾板がつけられました。
ただ、終戦後の写真では右舷側の単装機銃を囲むように防弾板が追加されています。(グレーの線、左右の単装機銃間のものは少し高くなっており、射界制限も兼ねていたものと思われます)

写真1 写真 日本海軍全艦艇史 KKベストセラーズ P.375より
写真2 海軍艦艇史3 航空母艦 KKベストセラーズ P.171より
写真3 NHK戦争証言アーカイブス 日本ニュース第145号より
写真4 丸スペシャルNo.130 戦時中の日本の空母II 潮書房 P.35より
写真5 写真日本の軍艦第4巻 空母II 光人社 P.10より
写真6 世界の艦船増刊 日本航空母艦史新版 海人社 P.74より

隼鷹 38

39-1 空中線 新造時

公式図にある新造時の空中線とその展張用支柱です。

39-2 空中線 マリアナ沖
39-3 空中線 マリアナ沖

マリアナ沖海戦時には展張用支柱や空中線の張り方がまったく違っています。
写真から空中線の張られ方を推定してみました。
展張用支柱から船体への引込線は不明なため描いてありません。

39-3 空中線支柱

写真2は終戦後に撮影されたものですが、空中線支柱はマリアナ沖海戦時と同じものです。
この張り出しについて再考証しました。
1 
この張り出しの支柱は大変複雑な構造になっており、空中線支柱の基部として機能もあるようですし、しかもどちらかが後に追加されたようではなく、最初からこの構造であるようです。
この張り出しと空中線支柱は同時に設置されたものと思われます。
しかし、25mm単装機銃の増備よりも空中線の変更は早く行われています。

マリアナ沖海戦時には25mm単装機銃の操作半径の関係から艦橋部に窪みが作られていますが、この張り出しが機銃用に設置されたのならこの窪みを作るより張り出しを大きくしておけば良いだけです。

艦橋前部の25mm三連装機銃からこの張り出しには通路状に続いていますが、途中に銃側弾薬格納所があり通行できなくなっています。
しかも格納所の扉は三連装機銃側のみとなっており、単装機銃側をこれにつなげる必要は無いように思えます。
これらの疑問点から判るのは、この張り出しは25mm単装機銃用に設置されたのでは無いということです。
ではいつ何のために設置されたのでしょうか。
まず空中線の変更はいつ必要になったかですが、それは艦橋前に25mm三連装機銃が増備されたときです。
射撃の邪魔になるため艦橋前から艦橋上のマストに張られていた空中線が張れなくなり、煙突の支柱からの空中線を増やすために空中線展張用支柱も変更になったものと思われます。
(左舷の二番高角砲座と四番高角砲座の間に張られた空中線もこの時に設置されたものと思います)
それと同時に設置された張り出しには、同じく三連装機銃の邪魔になるために撤去された8cm双眼望遠鏡が置かれたものと思われます。
また銃側弾薬格納所はこのときにはまだ無く、単装機銃が増備されたときに弾薬の使用量が増えたために設置されたものと思います。

南太平洋海戦直前に撮影されたと思われる日本ニュース第145号の画像ですが、明度を変えてみましたら、やはり艦橋後部には三連装機銃らしきものがあるようです。
また、煙突側部の空中線展張用支柱ですが、上の追加された部分は雲と重なっているため判りませんでしたが、それの補強用支柱がうっすらと確認できます。
空中線の変更も行われているようですので、南太平洋海戦時には艦橋前後の三連装機銃の増備は確実とおもわれます。

飛鷹は8cm双眼望遠鏡用の張り出しが4.5m測距儀の前ではなく右舷側にあったようです。
この位置は三連装機銃の邪魔にはならないとおもわれますので、8cm双眼望遠鏡の移設は無く、後の単装機銃の設置も無かったと思います。
また艦橋前部の空中線展張用支柱も形状と位置が違っている可能性があり、煙突側部の空中線展張用支柱の追加が行われていないのはその為ではないかと考えています。

すみませんが、マリアナ沖海戦後の空中線の張り方は次回とさせてください。
また、前回の南太平洋海戦時と昭和18年時の図を訂正しました。

写真1 歴史群像太平洋戦史シリーズNo.22 空母大鳳・信濃 学習研究社 P.122より
写真2 写真 日本海軍全艦艇史 KKベストセラーズ P.377より
写真3 NHK戦争証言アーカイブス 日本ニュース第145号より


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老猿

Author:老猿
  
日本海軍艦艇を、公式図と写真から
検証しています。

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